今、法大の市ヶ谷キャンパスの中を大勢のガードマンが巡回していたり、怪しげな男(公安?)がうろついていたりしている。
そして、(主に中核派)退学処分者や停学者が校内に入ろうとすると、ガードマンが必死になって彼らを追い出そうとして、その様子をあの例の怪しげな男がビデオカメラで撮影していたりする。
でも、これは、本当は「中核派VS法大当局のバトル」じゃないと僕は思う。
これは「法大生と法大当局の問題」だと思うのだ。
(「法大生VS法大当局のバトル」でもない。このことについては後で書く。)
僕は中核派ではない。
どちらかと言えば、右よりの考えを持った人間だ。
でも、僕も自由な大学のほうがいい。
右左(みぎひだり)関係なく、多くの人にとって、自由な大学のほうがいいと思う。
それに、頑張って、受験勉強をして入った大学だ。
確かに、第一志望が法大でなかった人もそれなりの数、いるとは思うが、
(僕の第一志望は早稲田だった)
それだったら、なおのこと、大学生活を楽しみたいのではないのだろうか?
それに、僕らは決して安いとは言えない、高額なお金(入学金や、授業料、施設使用料など)を法大に払っている。
もっと自由にやらせてくれてもいいのではないか?
これは、「中核派VS法大当局のバトル」じゃない、「法大生と法大当局の問題」だ。
しかし、本来なら「法大生と法大当局の問題」が、「中核派VS法大当局のバトル」に見えてしまっているのはなぜだろう?
それは、一つには法大の中核派に対する一般法大生の誤解があると思う。
だから、このブログでは彼ら、法大の中核派に対する誤解を解いていこうと思う。
まあ、誤解を解くといっても、僕が彼らと接してみて思った、純粋な感想(彼らの素顔)についてただ書くだけだが。
もう一つは、僕はこれまで、「法大生VS法大当局のバトル」ではなく、「法大生と法大当局の問題」と書いてきたが、それは、法政がより自由な大学になることが決して法大当局にとって必ずしも不利益にならないからだ。
僕の第一志望が早稲田だったことは、上に書いたが、僕はあの早稲田のバンカラ(自由)な校風に憧れて、高校一年の頃からずっと早稲田を目指していた。
バンカラ(自由)な校風は学校のうりになる。
下手に学部を新設したり、変な建物を建てるよりも、バンカラな校風をうりにするほうがはるかに大学のイメージアップにつながると思うし、受験生の数も増えるし、質も向上すると思う。
しかし、現在、法大当局は中核派を諸悪の根源のように思い込み、中核派潰しに躍起になっている。これは中核派のみならず、一般の法大生、そして、法大当局にとっても、とても不幸なことだ。
こんな無駄な争いを、本来なら抱える必要のない問題を、僕らはいつまで抱え続けることになるのだろう。