2006年10月13日

挫折・絶望・自己嫌悪

「もっと法大で自由にいろいろやらせて欲しい」、ただそう思い、私はこれまで活動してきました。しかし、中核派のビラを見てもらえればわかると思いますが、法大当局の弾圧はますます強くなる一方です。ですが、私には多くの法大生が、私のように危機意識を持っているようにはとても思えません。しかし、よく考えてみれば、それは当然のことなのかもしれません。私達が毎日、一日の大半の時間を、大学に拘束されているのならば話は別です。しかし、そんなことはありません。私達には高校の頃とは比べものにならないくらい、自由な時間があります。その自由な時間をわざわざ学校で過ごす必要など全くありません。ですから、その自由な時間を使って、学外の活動に専念している人も多いでしょう。また、学内のサークルに加入している人でも、それ程、不自由を感じずに、サークル活動をしている人が大半でしょう。
私のように「もっと法大で自由にいろいろやらせて欲しい」と思う人間は、法大の中ではマイノリティーなのかもしれません。そうだとすれば、私の活動は単なる、ひとり善がりの自慰行為です。大学生活に何の不自由も感じていない大半の法大生からすれば、私の「もっと法大で自由にいろいろやらせてもらうために、団結して、法大当局と交渉しましょう!」という主張は独善的なものでしかありません。
私は中核派の方々のように特定の思想に基づいて活動しているわけではありません。繰返しますが、私は「もっと法大で自由にいろいろやらせて欲しい」、そう思っているだけなのです。そのためにこれまで活動してきました。
しかし、私の活動の中で主張してきたことが、多くの法大生にとって、独善的なものにしか聞こえないのならば、そもそも、こんな活動をこれ以上、続けてもいいのか、正直、私にはわかりません。


posted by ゆうた at 10:45| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする